「.................もういっそ、羊飼いにでもなりたい」

通算5本目の煙草に火をつけながら、あたしはつぶやいた。昼休みをすぎた屋上には誰もいなくて、大の字で寝そべったコンクリートの床の横には、4本の吸い殻が無惨にすてられている。停学、わるくすれば退学の危機にもなりうるようなことを、堂々とやってのける度胸なんて、あたしには無いはずなのに、今はなんだかすべてがどうでもよくなっていた。

あー空が青い。

「その事」をきいた時、あたしはまさに青天霹靂、寝耳に水、ディズニーの昔のカートゥーンみたいにイスから飛びあがり、目が飛び出し、ついでに心臓も飛びだし、さらにドックンドックン波打つ心臓が破裂するような衝撃をうけた。願わくばノストラダムスの予言があたって、1999年で世界が終わっていればよかったのに。そうしたら「その事」をきかされずにすんだのに。あーでも、そうしたらあいつにも会っていなかったか?あれ?でも、その方がよかったんじゃない?あたし真実を知らずにすんだんじゃない?いやいや、それでは本末転倒だ。そうだ!あたしとあいつが出会った瞬間に、世界が終わってればよかったんだ!それだ!なーんだ!超ハッピーエンドじゃん!?ハッハッハッハッハッハッハッハハッハッハッハッハッハッハッハハッハッハッハッハッハッハッハハッハッハッハッハッハッハッハハッハッハッハッハッハッハッハハッハッハッハッハッハッハッハハハハ..ハ....ハハ................

あー................



跡部景吾に彼女ができた。

一週間前に開催された、他中学テニス部をまじえた合同学園祭において、氷帝テニス部の運営委員を担当していた子だ。倍率予測不可能の超難関を突破し、キングの愛を射止めた女の子。氷帝全女子アコガレの王子様が、誰かのモノになったというニュースは、瞬く間にかけめぐり、その日は恋に敗れた女たちが流した涙で、氷帝学園ご自慢の豪華プールがあふれかえり、あわや洪水か!というぐらいの大惨事になったらしい。(コレは後で噂できいただけだけど、こと跡部関係になると「ねーよ」と笑いとばせないのがコワイ)

しかしあたしはショックの方が強すぎて、いまだに涙すら出てこず、そのスペクタクルには参加できなかった。もとい、発端となった合同学園祭も、その前の準備期間も、そして運営委員をきめる会にも出席できなかった。夏休みのほぼすべてを、あたしは季節はずれの夏風邪と戦い、自宅療養、兼自宅警備員としてすごしたのだ。あたしが高熱でアイスノンを溶かしていた間に、跡部はその子に出会い、あたしがトイレをベッドと呼ぶ生活をしている間に親密になり、あたしが体重を5キロ減らしてる間につきあいだし、そしてあたしがサイズがあわなくなった制服をきて登校した日に「あんたまだ知らなかったの?」と、悪友が小馬鹿にしたように「その事」をつげてくれた。

まったく、蚊帳の外も良い所である。




、お前、運営委員にならねーか?」

                                  
あの日、跡部からそうきかれて、ついあたしはいつもの口調でかえしてしまった。
   
               
「ならないよ、めんどくさい」

「なんだよ、お前がなったらおもしれーじゃねーか?」

「どうせ、パシリとか雑用に使おうと思ってんでしょ?」

「この運営委員長である俺様のパシリに使おうとしてんだ、光栄におもえ」

「イヤだよ、そんな誇り、10円で売ってやる」
                    
「プレミアがつくぞ?」
                    
「................(本当に買うヤツが出てきそうでイヤだ..........)」

「ふっ、まあいい、とにかくお前の名前、運営委員候補にいれとくぞ」
                    
「ハ?」
                    
「どうせ部活もやってねーから暇だろ?夏休みぐらい体を動かせ」
                    
「ちょっ!ちょっとまって.........跡.....」

        
あたしが言い終わらないうちに、跡部は踵をかえしてさっさと行ってしまった。
あとには、困惑と不安に呆然となったあたしがのこされた。

否、少しの期待がなかったと言えば、嘘になる。

あたしはずっと密かに、跡部に想いをよせていたのだ。跡部とのつきあいは、一年の時にまちがって英語で「DANGEROUS」を「ダンゲラス」とよんで大爆笑されて以来で、その頃からの筋金入りの密やかな想いなのだ。 まあ................お陰で女子のカテゴリーよりも、男子のカテゴリーに入れられてることの方が、多い気がするが、その分話したり笑い話をする機会も多かった。たぶん、氷帝女子の中では一番仲がいいのではないかと、密かに自負もしていた。

このままこの関係が発展せず、友達のまま高校にすすむのか、それとも何かしら精一杯のアクションでもおこした方がいいのか、悩んでいた所にこの運営委員の話である。あたしはいつもとは違う夏休みになるかもしれない予感に、期待で胸をふくらませながら、愚かにもこのチャンスに賭けてみようと決心したのだ。今おもえば、この頃のあたしにキン肉バスターでもかけてやりたい。そうすればバカバカしい風邪なんかかからずに、永遠に夢をみていられたのに................................失神して。

で、あとはご存知の通り、中学最後の夏休みをすべてあたしはトイレとベッドの往復についやし、当然運営委員になんかなれず、当事者にも加害者にもなれず、負け犬にもなれず、あたしが知らない所であたしの恋は終わっていた。


                    
「あー焼きそばパンにでもなりたい................」
                    
この際いっそ、人間でなくなればこのような煩悩に悩まされることもないのだろうか?救いようがないとは思うけれど、あたしは一つの考えをとめることが出来ない。

................もし、もしあの時、運営委員になっていたのがあたしだったら
今頃、跡部の横にいたのはあたしだったのか?


そこまで考えて、いつも自分のバカバカしさに後悔し、愚かさに自己嫌悪する。そして途端に、煙草が苦くなりまずくなる。5本目の煙草をもみけし、あたしは通算6本目の煙草に火をつけようとした。


「こんなとこで何さぼってんねん?

長身の影が背後にのびて、あたしは思わずライターをとり落としそうになる。
ごほっごほっとむせながら、後ろをふりかえった。

「あー................びっくりした、忍足か」

その男、忍足侑士は少し長めの髪を無造作に風になびかせながら、寝ころがっているあたしの横にたった。


「あんたの煙草のせいで、ここだけ酸素薄いで?」
                    
「ふっ................いっそ窒息でもできたらいいのにな」

                    
忍足はあたしを見下ろして、片頬だけ上げて笑った。

この男にだけは、あたしの密かな恋は早々にバレていた。ふだんから観察眼鋭い忍足に、何かを隠し通すなんてことはできず、あたしが跡部と憎まれ口をたたく度に「素直になればえーのに」と苦笑しながら、たまに相談にのってくれていたりした。理由をきけば「ツンデレの見本みたいでおもろいから」という、にべもない答えがかえってきて、いっつも素直に感謝できない。

                    
「忍足こそ、授業サボって何やってんの?」
                    
「昨日遅くまで映画観とったから眠くてな。保健室はバレるから、ここで昼寝でもしよう思て」
                    
「また恋愛映画?」
                    
「ああ、今回は宮廷の許されざる恋や、それはもう感動的やったでー
フランス革命の時代を舞台にした映画で、一介の騎士が...........」
                    
「いや、説明はいいよ................」
                    
「なんや、ノリが悪いな」
                    
「今のあたしのライフはゼロなのよ」
                    
「あれか?赤くなってるやつやな」  
                    
「そだよ、しかも装備は初期装備の木の棒と布の服」
                    
「それじゃラスボス倒せへんやん?」
                    
「もういいんだよ、すでにゲームオーバーだから」
                    
「................................」


空を見上げ、ポケットに手をつっこんだ忍足が聞く。

                    
「さんざん素直になれってアドバイスしたで?なんで今まで言えへんかったんや?」
                    
「.........チャンスもなかったし、なんか恥ずかしかったし、跡部の迷惑になるかもしれないと思って」
                    
「................................」
                    
「みんな跡部のこと好きだったし、あたしが跡部につりあうかどうかも自信なかったし
それに、結局やっぱり今の彼女の方がお似合いだったし」
                   
「................................」
                    
「..............................というのは言い訳で、本当はあたしがヘタレだっただけです、ハイ」
                   
「フっ」
                    
「ビビッて、手をこまねいて、自分でフラグをバッキバッキにへしおってた間に
どこの馬の骨ともわからない女に、横からかっさらわれたんです」
                    
「ハハ、本音がでおったな」

                    
笑いながら忍足はゆっくりと、あたしの横に腰を下ろした。

                    
「ええ子やで?跡部の彼女」
                    
「................知ってる」


               
跡部の彼女は、性格がよくて頑張りやと、2年でも評判の女子だ。あの跡部親衛隊(笑)にも臆せず、堂々と一人で立ちむかおうとしたらしい。しかも平手打ちされたにも関わらず、それを告げ口もしなかったそうだ。これで跡部が惚れないわけがない。

どこの馬の骨とも知れないのは、あたしの方だ。

「でも、跡部のことを考えたのは本当だよ、ずっと生徒会やテニス部でいそがしいのに、これ以上余計なことに神経使わせるのもダメだなーとあたしなりに気をつかったこともあるんだから..........まあ、最終的には結局やっぱりただのヘタレなんだけどね、はは」

「跡部が大事やったから言いだせんかってんな」
                    
「......................うん」

やさしげに聞く忍足に素直に答えたら、なんだか悲しさと恥ずかしさがこみあげてきて、あたしは膝をかかえる。

「ねえ、こういう時って忍足がよく観てる恋愛映画ではどうするの?あきらめるの?それとも叶わない思いを抱きつづけるの?」
                    
「せやなー、あきらめればお涙ちょうだいの悲恋、あきらめなければご都合主義のハッピーエンドやな。映画の結末なんて」
                    
「なんか救いがないなー、もっと望みがあるような話はないの?」
                    
「けど、女が主人公で失恋した場合、大抵なぐさめる男が出てくるなー」
                    
「へーそれは羨ましいな」
                    
「で、そいつらが決まって同じセリフを言うんやけど、これにはいつも笑ってまうねん」
                    
「なんで?」
                    
「俺が絶対言わんとこと、思ってるセリフやからや」
                    
「ふーん、なんて言うの?」

                    
忍足は、ふいとあたしの方を向いて、少しの間をおいて静かに言った。


「俺にしといたらよかってん」


間近で見た忍足の目がきれいで、あたしは思わず息をのむ。
その後に、今言われたセリフが恥ずかしくて、あわてて目を伏せた。
 
                  
「へー、それって失恋してたらぐっとくるねー、はは。
なんか冗談で言われても、ちょっと嬉しくなるよ、うん」

                   
忍足は何も言わない。
さらに顔を伏せて、あたしは言う。

                    
「で、でもなんで絶対言わないの?もし気になってる子がいたら言ってみなよ。
ダメもとでも、忍足にそう言われたらドキッとする子、多いと思うよ?」

「そうか?それは嬉しいなあ、でももうええねん」
                    
「?」
                    
「今、その子に言ったからええねん」

                    
目を見開いておどろくあたしに向かって、忍足はやさしく笑う。


「ありがとうな」


快晴の空には、鳥一匹飛んでいなくて、気持ちのいい風があたしと忍足の髪をなびかせる。

                    
「あたしさー.................跡部の事好きだったよ」
                    
「うん」
                    
「本当に、ちゃんと好きだったんだよ」
                    
「知っとる」
                    
「あの傲慢な王様みたいな人、でも本当は面倒見がよくて、他人をほっとけない人
................................あたしの全部をかけて好きだったよ」
                    
「知っとる、お前があいつのことを3年間ちゃんと見てたこと..............俺は全部知っとる」
                    
「うん.................」


                    
目頭が痛いような感覚にたえられなくて、あたしは膝をかかえて顔をうめて、小さく「忍足、ありがとう」とつぶやいた。嘘のように涙があふれて、失恋して以来、あたしは初めてきちんと泣いた。

優しい人の影が、優しくあたしの上に落ちて、密かな恋がこの夏とともに終わったことを
あたしはやっとうけいれた。









090401